子供の頃、母親に思いやりのない子と言われたことがあります。

あまり幼少期のころのことは覚えていないのですが、なぜかこれだけは覚えていて、幼稚園くらいの時だったと思います。正直、その時の自分の気持ちは思い出せませんが、今思うと幼稚園児の私は「それ、お節介じゃない?」と思っていたんじゃないかと思うわけでして。(冷めた子でした。。。w)

最近、てんちゃん(私の龍さん)が、潜在意識の情報を読み取って動いていることに氣付きました。顕在意識が認識する前にフライングで行動を起こすことが数回続いたことで氣が付くことが出来ました。

これを顕在意識的に見ると、相手によっては、言われなくても察して動ける『気が利く人 / 気働きの出来る人』なのかもしれませんが、自分でやりたい人からしたら、ただの『お節介な人』。スピリチュアル的に言えば『氣付きを奪う人』になるのかなぁ〜。。。

この折り合いをどうつけるのか?と思った時に、今の私なら観察するなと思いました。

氣心が知れていれば、ストレートに「私、何かする?」とか「何か出来ることある?」とか聞いてしまうけれども、初めましての方や、どう見ても相手が目の前のことに集中しているなぁ〜と感じる時は、それが終わるまで待つことにしています。

とは言え、ワタクシもともとせっかちさんなので、待つことも一苦労。w スピードと正確性を買われていた時期があって(ワーカーズハイ状態のころ)、その癖がまだ抜け切れず。。ではあるものの、今は瞑想を習慣にしているせいか、だいぶ前よりは待てるようになってきている?はず!で、最近思うのですが、思いやりとかお節介とか、分けなくてよくない?って思い始めました。

自分のペースで自分の出来ることを精一杯すればそれでOK!と。

それを思いやりととるか、お節介ととるか、気が利くととるか、融通が利かないととるかは、取る側の選択でいいんじゃないかと。そして、その選択に無理して合わせなくていいんじゃないかと。

宇宙さんが求める『魂の成長』って、人間が考えている成長とはちょっと違う氣がします。どちらかと言うと、自分を知るための成長であって、周りの評価は後回し。だけど、最終的には周りから素敵に見られちゃう♡という流れではないかと。

なので、まず自分を知ることをして、周りとのバランスとるのがいいのかなって。(^^)