私、飛ばしてると思うんですよね。w

日本人の信じる強さは凄いです。そう思ったことはこの人生、何度もあります。

個人的な経験としては、一番始めにヒーリングを習った時のことを思い出します。海外から輸入されてくるヒーリングは、とてもフワッとしている。なんでだろう?言語の理解不足かな?とか、とにかく違和感があったのですが、もしかしたら信仰の違じゃないかと、ある時思いまして。

一神教だと神様にお願いすれば大丈夫って感じ!?なのかな?人智を尽くして天命を待つ的な。私の大好きな映画ブルースブラザーズに「神の御心は計り知れない」と訳された台詞があって、まさにこれなのかなと。

日本は八百万の神様がいて、仏様もいっぱいいて、自然も信仰としてあって。どれか一つに決めたら、宗教がどうのこうのって胡散臭いイメージつけられて。だから、行事に乗っかっていいとこ取りで神社巡りとか。(私もよくやりますw)。なんだかベクトルが分散されてる?させられている?ようにみえるのです。

この状態で海外のヒーリングを習って「あとは天に(神様に)お任すればいいのよ〜」とか言われても、ピン!とこないのであ〜る。私がそうでした。w 神様をカッコ書きにしたのは、おそらく先生(海外の方)はそういう感覚で言っていたのではと想像が出来たので、つけたしてみました。

この感覚、日本人あまりなくないですか?

いつも神様はそばにいて、見守ってくれていると言う感覚に『確信を持っている』という方。この『確信が持てない感覚』が、日本のヒーリングを含むスピリチュアルの方向性を、よくわからんものにしているなぁ〜と最近思うわけなのです。

前置きが長くなりましたが、本日のお題『飛ばし屋と吸血鬼』

私が言う飛ばし屋とは、念を飛ばす人のことで、吸血鬼とはもっと頂戴の人のことです。『念=信じる力』だと思っているのですが、問題は信じる力のベクトルです。方向が外に向いてると飛ばし屋、内側に向いていると。。。なんて呼ぼうかな。。。安心感かな。そして、その安心感が内側にないと、外に過剰な安心感を求めて、もっと頂戴♡と吸血鬼になる。こんなイメージです。

これを私は好まなくてですね。。。ず〜っと右往左往してたのです。氣付いてましたもの、自分がハードな飛ばし屋で吸血鬼なこと。w

私の場合は、機械が壊れたり、システムが不具合になったり、ブレーカーがとんだり。w それは何故かと言えば、吸血鬼をしないと決めた時からそうなっています。石橋を叩いて叩いて叩き割る寸前に飛び移るというのをイメージしてもらうとわかりやすいと思うのですが、叩きまくってる状態=自分の念が外に向かってる矢印と内側に向かっている矢印の鬩ぎ合ってる状態で、その時に周りがいろいろ壊れる。で、最終的に飛び移るときは、自分の内側に矢印が向くのですが、安心感と言うよりは諦めだったり勢いだったり。。。観念という言葉がしっくりきます。w

この一連の流れを何度かやりまして、飛び移る経験を何回かするうちに、叩き割るまでしないでも大丈夫だって信じられるようになりまして。そこからは、飛ばし屋も吸血鬼もなくなった。。。と思っていたら、副作用出ました!

飛ばすことを怖れるあまり引きこもり。もっと頂戴♡が過剰になるのを怖れて頼ったり甘えたり出来ない。この時は周りが壊れるというよりは、自分の中に溜め込む。わかりやすくは太るという現象。w で、これも嫌なので、どうしたらいいか考えて、結果大丈夫だという経験を積ませていただくことが一番早い。それも三方良しで。相手をコントロールせず、自分を偽らず。そう思っていると『自己肯定感』というキーワードがやってました。

話しを前置きに戻すと、自分の真の安心感=自己肯定感があれば、飛ばす内容は楽しいものですし、もっと頂戴も、もらえなくても「残念〜〜!!」くらいで執着しない。なぜなら安心感が自分の内側にあるから。私、これを先日一緒にランチしたちびっ子に学びました。言いたいことは言う。叶ったらラッキー!くらいの。これを計算なくやっているちびっ子。ここに戻ればいいんだなと。

今は、バランスよく使うことを心掛けております。そして一度理解したらベクトルがズレると氣付けます。そして、今の日本は安心して信じられるものを求めている氣がします。それが自分の内側にあったら。。。言うことないですよね!♡